ごあいさつ

院長あいさつMessage

鈴木邦彦院長開院から20年にわたり、木更津市および隣接各市の皆様方から多くのご支援・ご愛顧を賜りながら、診療を続けさせていただいております。

 

木更津は私が生まれ育った町です。木更津港の近くにあった、玄々堂産婦人科医院が実家で、買い物客で賑わっていた西口の商店街を遊び場に育ちました。
中学卒業と同時に木更津を離れ、高校時代は東京、大学時代は神奈川県の横須賀で過ごしました。歯科医となってからも横須賀におりましたが、東京湾アクアラインが完成に近づいた頃、故郷が身近に感じられるようになり、「木更津に帰ろう。故郷に恩返しをしよう」との思いを強くしたのでした。
そして平成9年、22年ぶりに木更津へ戻り、実家の屋号「玄々堂」を冠した当院を開設させていただきました。以来、本地域の歯科医療の一助となるべく、診療を続けさせていただいております。

 

当院がモットーとしているのは、皆様から頼られる、身近な“かかりつけの歯科医院”であることです。そのため、アットホームな診療環境づくりと、アフターケアなど継続的なサポートを行っております。
急なトラブルはもちろん、歯の健康に関する事なら、どんな事でもお気軽にご相談下さい。スタッフ一同、来院を心よりお待ち申し上げております。

 

玄々堂歯科医院 院長

鈴木 邦彦

院長プロフィールProfile

空手稽古中の院長先生院長:鈴木 邦彦

 

1960年、木更津市生まれ。神奈川歯科大学卒。
木暮里歯科医院(神奈川県横須賀市)に勤務の後、1997年に玄々堂歯科医院を木更津市朝日町に開業。

 

君津木更津歯科医師会会員
上総スタディ・グループ(K.S.G)メンバー
木更津市立請西小学校校医
BIO BALANCED OCCLUSION 修了(噛み合わせ理論)
iTi DENTAL IMPLANT SYSTEM 修了(インプラント)
JIADS(歯内療法) 修了

 

趣味は写真と空手(剛柔流)。
写真は「アサヒカメラ年度賞1位(カラープリントの部)」(2003年)など受賞多数。
50歳を前にして始めた空手は現在5段。

 

歯科衛生士Dental Hygienist

鈴木恵子歯科衛生士:
鈴木 恵子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯科助手Dental Assistant

平島奈津美歯科助手:平島 奈津美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「玄々堂」についてabout “Gengendo”

画像:祖父・鈴木利三郎「玄々堂」は、木更津市や近隣各市の皆様に、昔からなじみ深い屋号でありましょう。私の父・鈴木達也が木更津市中央に開いておりました、玄々堂産婦人科医院で生まれたという方も多いかと存じます。また、現在は、親族が設立した玄々堂君津病院が君津市に、その分院である玄々堂木更津クリニックが木更津市高柳にあるのはご存知の通りです。

 

画像:父・鈴木達也医者の家に生まれましたので、子供の頃から医療は私の身近にありました。深夜にお産が集中して病床が足らなくなり、寝ていた私たち兄弟は父にたたき起こされて子供部屋を追い出され、そこへ妊婦さんが運び込まれたこともありました。今では懐かしい思い出です。そうした環境で育ったため、医療の道へ進もうと考えるようになったのは、自然の成り行きだったと思います。

 

聞くところによりますと、「玄々堂」は、中国の古典「老子道徳経」の中の一節「これ玄と謂い、玄の又玄、衆妙の門なり」に由来するといいます(「道」の広大無限な様子を表しているとか)。また、当鈴木家の祖先に医術を伝授したのは森玄孝という人物(豊臣秀吉と秀頼の御典医だった森宗長の子)と伝えられていますので、これも関係しているのかもしれません。いつ頃から「玄々堂」と名乗るようになったかは定かではないそうですが、医業を営む当家の屋号として、江戸時代後期には広く親しまれていたことは間違いないようです。
その後、医業は一時的に途絶えたそうですが、明治36年(1903年)、第31代当主の鈴木利三郎(私の祖父に当たります)が小糸村(現君津市)に診療所を開設し、医業を再興しました。そして、その子である私の父が木更津に出て、産婦人科医院を開業致しました。

 

平成9年(1997年)、私が木更津に歯科医院を開業するに際しては、親族各位のご理解をいただき、「玄々堂」を名乗らせていただくことになりました。この由緒ある屋号に恥じぬよう、末永く当地域の歯科医療に貢献していく所存です。

 

院長敬白

 

●参考資料/玄々堂君津病院〈「玄々堂」の由来について〉